【終了】後期特別展「国見山廃寺における建築・瓦」

これまでの集大成!

特別展チラシの表面画像

チラシの表面画像です

令和3年10月16日(土曜日)から12月26日(日曜日)までの期間、北上市立博物館本館では特別展「国見山廃寺における建築・瓦」を開催しました。

国見山にかつて存在していた古代寺院について、同時代の寺院建築との比較や考古学的調査から得られた知見などからどのような堂塔建築が立ち並んでいたのかを考察し、建築復元図を掲示し紹介しました。

終了した事業ではありますが、記録のためこのページを残します。

 

チラシPDF版はこちらからダウンロードできます→特別展「国見山廃寺における建築・瓦」チラシ(PDFファイル:1.5MB)

関連行事を公開中!

令和3年11月7日、定員いっぱいの20名の皆さんを前に、国見山廃寺への熱い思いのたけを発表する講座が開かれました。

「鼎談! 国見山廃寺の塔を語る3人の熱き漢(おとこ)」と題し行われたこのイベントは、国立歴史民俗博物館名誉教授の濱島正士氏、岩手県建築士会北上支部の加藤康久氏、遠野で宮大工として活躍している社寺工舎・菊池寛明氏の3人がおのおのの立場から塔について語るという内容でした。

初めに当館館長・杉本良より国見山廃寺の概要を説明。濱島先生からは平安時代の塔建築との比較から国見山廃寺の塔を語っていただきました。菊池さんからは、実際に建築図面を引いたことにより見えてきたものを、そして加藤さんからは、これまでの堂塔復元にむけての熱い思いを語っていただきました。

この講座の模様は、YouTubeの北上市公式チャンネルからどなたでもご覧いただけます。動画タイトルは北上市立博物館講座「鼎談!国見山廃寺の塔を語る3人の熱き漢」です。

こちらのアドレスからご覧ください。(動画公開日は令和4年3月10日)

https://youtu.be/FJq4T8S7VZQ

 

そもそも国見山廃寺とは・・・見どころポイント紹介

国見山廃寺

今年度2回目となる秋の特別展は、国見山廃寺についてのものです。

国見山廃寺は、北上市稲瀬にある国見山で発見された平安時代の古代寺院です。考古学調査によると、お寺の始まりは平安時代前期にさかのぼることができますが、当初は掘っ立て柱の小さなお堂があるだけの山寺にすぎませんでした。

ところが、平安時代中期から国見山山中に比較的大きな堂塔建築が立ち並ぶ大きなお寺に変貌を遂げました。

現在、国見山にはお堂の礎石部分しか残っていません。1000年前はいったいどのようなお堂が建ち並んでいたのでしょうか。今回の特別展では、寺院建築史の大家である濱島正士氏(はましま・まさじ、国立歴史民俗博物館名誉教授、「はま」の字は異字体で表示されないため、このホームページ上では「濱」の文字を使用させていただきます。)、岩手県建築士会北上支部のご協力を得てこの謎に挑みました。

建築

礎石しか残っていない遺跡のため、上屋構造をどのように復元するかについて熱心に取り組んでくださったのが前段で述べた建築士会の皆さんです。

岩手県建築士会北上支部では濱島先生のご指導の下、堂塔復元図を完成させました。この作成にあたっては礎石の配置、堂塔がおかれている地形、江戸時代の古図面に書かれた名称などから建物ひとつひとつの性格決めも行われました。

今回の特別展では、これら復元図24枚すべてを展示します。

国見山廃寺発見のきっかけとなったのは、昭和11年(1936)の道路改修工事の際に蓮華文を施した軒丸瓦片が発見されたことでした。蓮華文軒丸瓦は、古代の役所か寺院でしか用いないものです。

その後の調査で周辺から布目瓦片、円面硯片、平安時代の土器片などもみつかり、このことから、古代寺院跡の存在が想定され戦後の本格的な調査につながったのです。 

本展では、国見山廃寺から出土した鬼瓦や軒丸瓦のほか、比較対象として奥州市からお借りした胆沢城跡出土の鬼瓦なども展示します。

図録のお知らせ

本展の解説図録は1冊300円にて頒布します。

見本をご覧になる前後には手指の消毒にご協力ください。

 

また、国見山廃寺特製てぬぐいも作成しました!こちらは1本500円です。

ご見学の記念にぜひお買い求めください。

この記事に関するお問い合わせ先

北上市立博物館

〒024-0043
岩手県北上市立花14-59
電話番号:0197-64-1756
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更新日:2022年03月10日