聖塚・河野通信墳墓(こうのみちのぶふんぼ)

聖図塚写真

聖塚(河野通信墳墓)

聖塚(河野通信墳墓)

時宗の開祖一遍上人の祖父・河野通信の墓所だと伝えられています。

通信は源頼朝に仕えた武将で、承久の乱に敗れて極楽寺に流され、この地で没しました。

一遍の墓参が描かれた国宝「一遍上人聖絵」そのままの面影が今でも残っています。

 

河野通信(こうの みちのぶ)

河野通信は伊予国(愛媛県)の名族の出で、鎌倉時代の名高い武将です。

壇ノ浦での源氏と平氏の最後の海戦では、水軍を率いて源義経に加わり大活躍をしました。そして、源頼朝の妻、政子の妹を妻とし、頼朝の側で仕えました。

頼朝が奥州藤原氏を攻め滅ぼした時には、岩手郡地方まで従軍しました。

のちに伊予国の守護に命じられましたが、後鳥羽上皇が、幕府から朝廷に政権を取り戻そうとして戦いを起こした承久の乱で、通信は上皇側につき、破れた通信は江刺郡に流されたのです。

2年間ほど極楽寺に庵をむすび、世捨人となって余生を送りました。

ひじり塚の碑の写真

地図

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更新日:2019年02月28日