(108)深読み 展勝地誕生

 大正10年(1921年)5月21日、陣ヶ丘において展勝地開園記念式典が盛大に開かれた。それから100年。今ではシーズン40万人を超す観光客が訪れる、東北有数の桜の景勝地となっている。展勝地誕生には黒沢尻町長も務めた沢幸さん(沢藤幸治氏)が大きく関わっていたことは、多くの市民が知っている。彼はなぜ、このような壮大な計画を思い付き、実現させたのであろうか。

 沢幸さんは明治14年(1881年)、町分に生まれた。珊瑚橋が開通したのが明治41年(1908年)であるから、それまでは黒沢尻町の人々にとって、対岸は別世界だったに違いない。広い葦原(あしはら)と崖上の松林のコントラストは、極楽浄土を連想させる風景だったのではないだろうか。さらにその奥には、かつて仏教文化の聖地であった国見山極楽寺が控えていたわけであるから、なおさらである。

 沢幸さんは32歳から東京、大阪と拠点を移しながら、ジャーナリズムの世界を通して日本や世界を知り、同時に北上川対岸の風景が他に類を見ない景勝地であるという確信を育んたのではないだろうか。以後、36歳ころから展勝地構想実現に向けて奔走し、40歳で開園にこぎ着ける。開園を急いだ訳は、大正13年(1924年)の横黒線(現J R北上線)全線開通が視野に入っていたからだろう。

 沢幸さんが黒沢尻町長になったのは、展勝地開園から13年後の53歳の時であり、わずか3年務めた後、56歳で岩手県議会議員になっている。そして3年後の昭和14年(1939年)に、岩手県立黒沢尻工業高校が開校しているのである。ちなみに、沢幸さんの後に町長になったのが、伊藤彬前市長の祖父である伊藤治郎助氏であり、二人が示し合わせて北上市への工業高校誘致を実現させた可能性も推測できる。このような先人たちの奮闘によって今の北上市の繁栄があることを、ぜひ心に刻んでおきたいものである。

 北上市長 髙橋敏彦

(令和3年3月26日発行広報きたかみ「珈琲ブレイク」より)

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更新日:2021年03月26日