【終了】企画展「あのころの暮らし」

100年前、60年前、30年前の日常とは

企画展看板と会場の様子

2021年はキタカミトリプルアニバーサリー!

展勝地開園100周年、みちのく芸能まつり60回、北上市市制施行30周年が重なるお祝いの年です。

博物館でもこのトリプルアニバーサリーにからめ、展勝地ができたばかりのころ、芸能まつりが始まったころ、北上・和賀・江釣子の3市町村が合併したころ、という3つの「あのころ」に注目し、暮らしの雰囲気を感じられるような日用品や電化製品を展示しました。

会期は令和3年7月17日から10月3日まででした。

活動記録のためこのページを残します。

展示紹介(1) 大正~昭和初期

電気がまだ普及していなかった大正から昭和初期にかけての日用品

こちらのコーナーでは壁掛け電話やラジオ、木製冷蔵庫といった、集会所やちょっと裕福な商家などでつかわれていたものと、羽釜や洗濯板、火のし、箱膳といったような農家でも使っていたような暮らしの道具を集めて展示しています。

木製冷蔵庫(写真の右側にある、うす茶色の長方形のものです)は、上段下段に分かれており前方に扉がついていることから、現在の冷蔵庫と外見が似ています。しかし、これは上段に氷を入れ、その冷気によって下段にしまっておいた魚などを保冷するしくみになっています。

現在の北上市域のあたりで電気の供給が始まったのは、大正3年(1914)11月に黒沢尻電機株式会社が創設されてからのことです。大正6年(1917)から順次、電信柱の設置や電線架線を行い、昭和2年(1927)までには現在の北上市や近隣地域にあたる1町15カ村へ電気が通りました。

しかし、当時は1家庭につき電線は1つしかなく、台所で電灯を使っているあいだはほかの部屋では使えないという状態でした。

明かり用の電球のほかにも電気が使えるように二股になったソケットが販売されると、それに伴いラジオや扇風機といった電化製品も普及します。

ただ、値段も高かったことから農村ではなかなか購入できる家庭は少なかったようです。

 

こちらのコーナーには炭火アイロンも展示しています。中に炭を入れ、その熱とアイロン自体の重さによって衣類のしわをのばしました。

展示紹介(2) 高度経済成長期

昭和30年代、40年代の北上の暮らしの道具

黒沢尻では昔から、お盆の8月16日に川施餓鬼供養として灯篭(北上ではトロッコと呼びます)流しと花火大会があり、日中は郷土芸能まつりが開かれていました。

これを発展させ、この地の豊富な郷土芸能を観光客誘致に活用しようと企画されたのが昭和37年に開催された「みちのく郷土芸能まつり」です。(現在は「北上・みちのく芸能まつり」と名称が変わりました。)

昭和29年4月に黒沢尻町と周辺の村々が合併して「北上市」が誕生し、昭和30年代は公共施設の充実やライフラインの整備、農家の次男・三男が定住しながら働ける場としての工場誘致などが活発に行われていた時期でもありました。

こうした時代背景や住宅のつくりの変化などもあり、丸いちゃぶ台や白黒テレビが居間の顔となります。台所では電気炊飯器、電気冷蔵庫が登場し、コーヒーポットやトースターといった洋風の電化製品も普及しました。展示物の背景は、昭和46年の本通りかいわいの写真です。

展示紹介(3) 昭和末期~平成初期

30年ほど前の家庭にあった品々

北上・和賀・江釣子の3市町村が合併し、新しい北上市が誕生したのは平成3年4月のことです。

このころは共働き世帯、核家族化が進んでおり、住宅の間取りもコンパクトになってきました。

家庭の所得も増え、主婦向けの料理雑誌の流行などから調理家電が普及するようになりました。ここではジューサーミキサーとかき氷機、電子レンジを展示しています。

この時代の台所風景に欠かせないのが玉のれんとダイニングテーブルでしょう。

 

また、ビデオデッキと一体化した小型のテレビも展示しています。これは、1家庭に複数台のテレビを持てるようになったことの象徴です。

日用品を通して、暮らしの変化や生活様式の変遷、社会の移り変わりも感じていただけたら嬉しいです。

この記事に関するお問い合わせ先

北上市立博物館

〒024-0043
岩手県北上市立花14-59
電話番号:0197-64-1756
メールでのお問い合わせはこちら

更新日:2021年10月15日