軽石 錦苔

軽石 錦苔(1799~1872)北上市生まれ

文学碑写真

(昭和35年 建立)

大黒天 うへを見るを
  笑つておはす 頭巾哉
 蛭子神 春の日の
  油断をしめす 襷哉

  軽石錦苔は立花村、現在の北上市立花に生まれ、本名は佐一兵衛、別に 橘中庵、須載亭、松羅堂、五月庵、錦苔亭などと号しました。奥州俳諧の四天王に数えられた盛岡の小野素郷門の逸材で、素郷から文台(句会などの席でその主帝者・指導者が用いる机。俳人の権威の象徴)を受け継ぎ、当時全国に名を知られた俳人です。

 また、黒沢尻を中心に花巻、江刺方面などにも多くの門弟を持ち、芭蕉句碑の建立や寺社ヘの句額の奉納など、地域文化の興隆にも大きな功績を残しました。文化文政期を中心に活躍し、句作を遠ざかったと言われる晩年には、軽妙な筆致の俳文「蓑帽子の弁」を残しています。

 句は七福神の大黒天と蛭子(恵比寿)神を詠んだもので、大黒天の句の季語は頭巾で冬です。俳誌「きたかみ」のメンバーを中心とした有志により、立花の俳人鬼柳橘村の道志を受け継いで建立されました。市内に残されていた錦苔の筆跡を刻んでいます。

(立花毘沙門天堂)

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更新日:2019年02月28日