子日庵 一草
子日庵一草(1731~1819)黒沢尻生まれ

(平成3年 北上市教育委員会建立)
萩見つゝ
をればそなたに
月出る
一草は江戸時代、黒沢尻(一説に鬼柳)に生れた俳人です。やがて漂泊の 旅に出て、蕉風(芭蕉の俳風)の普及に努め、最後は神戸で没しましたが、神戸では現在でも兵庫俳諧の恩人として顕彰されています。本名や生い立ちなどは不詳で謎の多い人物ですが、市内の医師柴田善三郎氏(故人)の『漂泊の俳人一草』(1980年・私家版)によって詳しく調査されています。
句は「萩を見ていたらその向こう側に月が出た」の意で、萩・月ともに秋の季語、宮城野萩で知られる宮城野での作です。遠近の対照が鮮やかな、絵画を見るような作と言えるでしょうか。
書は正岡子規の筆で、明治26年、子規が東北旅行に発つに際してまとめていた「準備稿」(各地の地理・統計や、詠まれた句などを記す。一草の句は4句あり)から採っています。子規の真蹟(本当の筆跡)は貴重なものですが、句そのものが子規自身の作ではないこの句碑は、全国的に見ても極めて珍しいものと言 えるでしょう。
碑のデザインは彫刻家の中本成紀氏によるものです。
(中央児童遊園)
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更新日:2019年02月28日