寺山 修司
寺山 修司(1935~1983)青森県生まれ

平成3年北上市教育委員会建立
百年たったら
帰っておいで
百年たてば
その意味がわかる
寺山修司は高校時代から俳句や詩に早熟な才能を発揮し、早稲田大学入学後には「チェーホフ祭」50首で短歌研究新人賞を受賞しました。その後、評論やエッセーイ、演劇、映画などに独創的な活動を展開し、特に演劇では演劇実験室・天井桟敷を主催、前衛的手法により演劇の新しい地平を開拓して、国際的にも高い評価を得ました。
北上には昭和46年11月、寿座で行われた「寺山修司の講演と映画の会」で訪れています。映画「書を捨てよ、町へでよう」の上映と、「現代青春論」と題された挑発的で刺激的な講演は、当地の若者たちに強いショックと影響を与えました。
この文学碑は、G.マルケスの『百年の孤独』に材をとった寺山の遺作の映画「さらば箱舟」(昭和57年)中のセリフを刻んだもので、全国でも例のない自筆 の碑となっています(原版となった色紙は詩歌文学館蔵)。寺山と親交の深かった粟津潔氏のデザインにより、時空を超越したテラヤマ・ワールドが現出されています。
(橋本児童公園)
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更新日:2020年08月12日