(33) 黒陵應援部の想ひ出
黒陵應援部の想ひ出
高校時代、一時、應援部に所属していました。当時、1学年は各クラスから秋までにサブリーダーを2人ずつ出すことになっていました。入学時からバンカラの應援部に憧れていたI君以外に立候補者がいなかったため、学級委員だった私が責任を取る形で、1年限りのつもりで入部した次第です。
実は、入学後は陸上部に入っていましたが、中学校まで自信があった走り幅跳びの記録も伸びず、入部して2カ月ほどで退部し、文化部に所属していました。應援部に入ったのは、ちょうどその頃です。
当時の私は、極度のあがり症でした。中学校時代の音楽の試験は、クラス全員の前で行われ、先生のピアノ伴奏に合わせて独唱する形式でした。しかし、私は全く声が出ず、成績は5段階評価で1か2でした。音楽は大の苦手、人前で歌うなんてあり得ない、という感じでした。
ところが、應援部ではそうも言っていられません。朝早くから校舎の屋上で、2年生リーダーの指導のもと、「セェー」という発声や応援歌をがなり立てました。そのおかげで、引っ込み思案だった性格が一変しました。というより、そうならざるを得ませんでした。
2年生に進級して、新入生を迎えての応援歌練習を無事終えて退部し、以前から誘いのあった山岳部に入部しました。退部はしましたが、その後も應援部メンバーとの交流は続いています。
應援部での一番の思い出は、雪のちらつく真冬に、げた履きで、校舎から男山までリアカーに太鼓や台座、旗を乗せて運び、「やすらぎの像」の前で、展勝地と北上川を望みながら応援歌を奉納したことです。
現在は、女性部員も多く加わり、活動を盛り上げていると聞いています。ぜひ、伝統のバンカラ精神を次代につなげていってほしいと期待しています。
北上市長 八重樫 浩文
(広報きたかみ令和8年9月号「お元気ですか 市長です。」より)
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更新日:2026年09月18日