平成29年度発掘調査速報 Vol.2 葛西壇遺跡-平安時代の須恵器窯-

北上市立埋蔵文化財センターでは、平成29年5月30日~9月15日まで 葛西壇遺跡(相去町葛西檀)にて、発掘調査を行いました。 昨年度の調査では隣接地を調査し、窯から廃棄された須恵器の破片などを 発見しました。今年度の調査区からは、平安時代のやきもの「須恵器」を焼いた 窯(登り窯)が4基みつかりました。

「須恵器」とは、5世紀に朝鮮半島からもたらされた陶器の一種で、 ロクロを使って作り、斜面を掘り込み天井を築いた窯(登り窯)を使い 1,200度近い高温で数日間かけて焼くものです。 それまでの野焼きによる軟質な土器と違い、きわめて堅く緻密な焼き上がりで、 当時もたらされた技術が、現在の日本の陶芸の源流になりました。

1号窯(SY001)は全長4mほどの小型の焼成部と、2.5mほどの作業部分で 構成された窯です。3回の作り直しが行われており、長期間使用されたようです。 3号窯(SY003)は半分程度、長さ2.3mまでが見つかりました。 1号窯・3号窯からは、焼成に失敗した須恵器が多数、そのまま窯の床面に残されていました。 2号窯・4号窯は、造成等により破壊されていて、床面の一部だけがみつかったため、詳しいことはわかりませんでした。

岩手県内で須恵器窯は10ヶ所しか知られておらず、本格的な発掘調査は 44年ぶりとなります。 相去地区の須恵器窯は、今回見つかった4基の他に過去に発掘された窯が1基、 磁気探査で発見された窯が3基あり、合計8基の窯が見つかっています。

葛西壇遺跡周辺の遺跡を発掘すると、須恵器窯だけでなく、 竪穴住居から陶芸のロクロを据え付けた穴や土器を野焼きした穴など、 土器つくりに関連する遺構がたくさん見つかります。 相去地区は県内でも例のない、平安時代の「土器生産遺跡群」だったことがわかっています。今後は窯の構造の系譜や、生産品の流通範囲などを調べていくことで、県内の須恵器生産の実態が解明されていくことが期待されます。

 

葛西壇遺跡調査区全景(西から).JPG

調査区全景写真(人のいる3ヶ所が平安時代の須恵器を焼いた登り窯、手前の水没部分にもさらに1基あります)

窯から見つかった須恵器.JPG

  1号窯(SY001)から見つかった須恵器

1号登り窯(SY001)焚口から奥を見た様子.JPG

1号登り窯(SY001)焚口から奥を見た様子

3号登り窯(SY003).JPG

3号登り窯(SY003).

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更新日:2019年02月28日