平成30年度発掘調査速報 Vol.6 奥州街道跡-近世日本列島の幹線道路-

奥州街道跡(おうしゅうかいどうあと)

所在地:北工業団地地内外 期間:平成30年4月13日~7月25日 調査原因:工業団地整備

奥州街道とは徳川家康の命により作られた江戸を起点とする五街道の一つで、東京都中央区日本橋から青森県外ヶ浜町三厩まで続く、近世日本列島の幹線道路です。街道には一里(約4キロメートル)ごとに塚が築かれました。のちに現在の国道4号線となりましたが、今回の調査区間は道路の切り替えにより廃道となっていたため、舗装や開発によって破壊されず残っていました。

調査では、1.街道両脇に松並木の抜根の痕跡が並ぶこと、2.街道の側溝は東西溝とも3回以上の掘り直しが行われており、街道の幅は5~6メートル前後であること、3.調査区南側斜面部の切通区間には、街道両脇に地盤の土を削り出した上に盛土して土手が造られていたこと、などがわかりました。街道路面は何度も整地が行われており、大量の土砂が運ばれ維持管理にかなりの労力が投入されたことが伺えます。かつては別の経路が想定されていましたが、今回の調査により二子・成田一里塚間の経路が明らかになりました。

奥州街道空撮

赤丸が調査地点(上が南、左が北上川)。工業団地内を通り、二子一里塚(県指定史跡)を経て諏訪町へと向かいます。手前には成田一里塚(県指定史跡)があります。

奥州街道跡地(北から)
調査区間中央(北から)

左:調査区間南側の調査前全景写真(北から)。街道両脇に土手が残っているのが分かります。

右:調査区間中央部の調査前全景写真(北から)。街道跡地には雑木が生えておらず、奥まで見通せる状態でした。

土手・溝の調査状況(西から)
街道の断面写真(南西から)

左:丘陵斜面部を切り出し作られた街道両脇の土手と溝(南西から)。側溝は複数回作り直されていたことが分かりました。

右:街道の断面写真(南西から)。整地の厚さは50センチメートルほどあり、400年間で少なくとも5回は大規模な整地が行われたことがわかりました。

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更新日:2019年09月11日