令和3年度発掘調査速報Vol.3成田岩田堂館跡-竪穴住居跡からみる縄文人の生活-
成田岩田堂館跡(なりたいわたどうたてあと)
所在地:北上市北工業団地
期間:令和3年10月27日~12月14日
調査原因:鉄塔建設
成田岩田堂館跡は、和賀郡最大の中世城館である二子城の北端に立地しています。今回の調査では、縄文時代中期(約5,300~5,000年前)の竪穴住居跡3棟、食糧貯蔵穴とみられる土坑1基などが見つかりました。また、中世城館の柱跡とみられる柱穴群も多数見つかりました。遺物は、縄文土器、石器、陶磁器等が出土しました。
縄文時代の竪穴住居跡のうち1棟からは、複数回の立て替えの痕跡が確認されました。また、出土した遺物には500年以上の時間差があることから、長期間営まれた集落であったことが分かりました。岩手県立埋蔵文化財センターによる南側の調査区からも、同時期の竪穴住居跡が複数見つかっていることから、大規模な集落が存在した可能性があります。
岩手県立埋蔵文化財センターによる南側の調査区からは、複数の建物跡や土塁・堀などの中世遺構が見つかっています。今回の調査で見つかった柱穴群も、同様に中世の建物を構成する可能性があります。

調査区全景(南から) 黄色の線が竪穴住居跡、水色の線が食糧貯蔵穴です。

縄文時代の竪穴住居跡(南から) 竪穴住居跡壁際の溝が2重になっていることから、一回り大きな住居跡に改築されていることが分かりました(黄:新、水:古)。

竪穴住居跡の床面から見つかった縄文土器(約5,300年前)
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更新日:2024年03月14日