(8) 藩境で育まれた北上文化とホスピタリティ

 令和3年4月1日に施行された北上市文化芸術基本条例の前文の一節に、「北上市は、古くから交通の要衝として、人、物、情報が行き交う歴史の中で、進取の気風と多様性に対応した風土が生まれ、特有の文化が創造されて今に至っています」とあります。  

 北上市は江戸時代、盛岡藩(南部領)と仙台藩(伊達領)にまたがっていました。現在、藩境付近では、例えばみちのく民俗村には両藩ののぼりが何本も掲げられ、相去と鬼柳の旧奥州街道(旧国道4号)沿いには目印となる「境塚」が復元されており、当時をしのばせます。また、黒沢尻は同街道の宿場町で馬喰街(馬市場)もあり、川岸は盛岡藩最大の河港で舟運盛んな時代の物流拠点の機能を担うなど、多くの人々でにぎわっていました。  

 当時からさまざまな往来や交流が多かった故、それが外部の人々を温かく迎え入れ、「おもてなし」するいわば‶北上人気質″が自然と生まれ、育ち、根付いたと考えられています。

そして、こうした歴史的基盤・風土が、現在の産業先進都市につながっているとの見方もあります。

北上市産業アドバイザーの関満博一橋大学名誉教授の著作『「地方創生」時代の中小都市の挑戦~産業集積の先駆モデル・岩手県北上市の現場から』(平成29年4月・新評論)でも、「…誘致企業を訪ねると、進出理由として‶工業団地の良さに加え、地元の熱意とホスピタリティ″が指摘される」と記されています。

 この北上人気質は、当市が目指す「交流人口と関係人口の拡大」にも好影響を及ぼすものであり、将来の北上を担う次世代にも受け継がれていってほしいと思います。

 

 北上市長 八重樫 浩文

(広報きたかみ令和6年8月号「お元気ですか 市長です。」より)

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更新日:2024年08月16日